成人

この国の成人とは何をもって成人としているのかがよく分からない。選挙権を引き下げもっと政治に興味を、なんて話でもあるがそれはその家庭内や地域での政治家推しになるのはとても単純且つ明瞭であろう。高卒で就職をした場合には2年ほど成人としてではなく新社会人、社会に出ていても成人ではないのだ。もっと言えば脳が成人になるのは23歳頃だという見解がある。大抵の女性が早い人で21歳、23歳までには結婚をしたいと思う。わたくしもそうであった。現に23歳にはとっくにクラブ通いも止めているが結婚にはまだまだ早いと思った。20代前半で結婚をしたわたくしの両親然り周囲を見ても離婚をしている。わたくしは思う。20代前半の恋愛は青すぎるのだと。話はズレるが悪阻がきつい女性は人間的にまだまだなのである。これはつまり悪阻とは「つわる」が語源で初潮の頃を意味している。不完全と言えば聞こえは悪いのかもしれないのだが身体も心も初潮の頃なのである。ここで悪阻がきつい女性ほど健康な赤ちゃんを産むとの見解もあるがわたくしは認めない。子どもを育てようやく大人になってゆくと言うのならば世の中は健全になるはずなのだが人は中途半端な死体として産まれ一生をかけて完全な死体になるとわたくしが好きな寺山修司氏は言っていた。ならば成人とはどういう事なのであろうか。思春期には不純異性交遊と言われ就職をすれば子どもを産めと言われる時世。そうかと思えば扶養額の変更に伴いもっともっと働けますよ。人間はもっと自由であっても良いのではなかろうか。フリーランスで活動をしても顧客側に応えるべく軋轢が生じる。生きている限りは必ずや商業的なのである。話は戻すが青年と言えば汚れ無き聞こえだが成人となるとどうも性の聞こえが強く感じさせられる。わたくしは15歳の時に23歳の方とお付き合いをしていたが犯罪だと周囲から言われる始末。3年間お付き合いをしていたのだから何も無かったわけではないよねぇ?と、先日行きつけのショップのオーナーに言われたがそれ以前にお付き合いをしていた方もいるしあの3年間は他にもお付き合いをしていた方がいるほどであった。これは様々な大人の中で生活をしてきて暗黙の様に20代には結婚をし子どもを産みなさい。そんな圧力があったからこそわたくしは遊べるうちには遊んだ。恋愛を通して成人になる様な気がしてきたからである。そこにはやはり性人と言っても過言ではないものがある。テレビの報道で成人の日の祝日だと知った。幾度となく荒れる成人式もあれば地域性というか県民性で粛々たる成人式もある。何かを成せた人間を成人と呼べばとても美しい言葉なのではなかろうか。そうすれば青人という汚れ無き言葉に成人といういつも心に居る安息な人を想えるのではないのではないかと思う。いつも、いつまでも。