断薬一年五ヶ月 記念に杖

現在の離脱症状は全身不随意による痛み、ビリビリブルブルとした痛みが一年五ヶ月、毎日毎日である。利き目の左目は見えにくく涙目もあって光の眩しさが増す。時に三叉神経の痛みも未だに出現している。左足は左右へ右足は前後に不随意をするので歩くのにとにかく気を遣う。昨年、減断薬の際のふらつきは脳内的めまいの様なもので下を向いたりするとぐらっと酔いがくる感覚であったが徐々に不随意という身体的な動きの為に吐き気は無いものの何かに掴まっていないと立っていられないか踏ん張って立っているというのが現況である。頭の先から足裏までビリビリブルブルとしているので拷問だ。両耳の聞こえが悪くなり電話口で兄さんが「宴会」と、言ったのに対し「妖怪?」と、聞き返したほどである。また左手薬指と小指に対する刃物恐怖症が再発し常にスパッと切れる感覚がある。なので疼きと思いがけず指先を切ってしまった時のあの痛みの感覚、これは不随意の痛みが心臓に響き脈拍が強くなった時に同時にくると緊張状態になる。ショック死をする方がいるというのも頷ける。舌の奥は未だに下がったままで腹式呼吸ができる様になった現在も鼻からの空気がダイレクトに喉にくるので喉の渇きはある。その為、喉から内耳にかけても常に痛い。音楽がうるさく感じる時にショック療法としてガンガンに聴いては具合が悪くなる事もあるが毎日、黒船と呼ばれているシグナスでどこかしらに出かけている。これはパニック症にある広場恐怖症、嘔吐恐怖症、外食恐怖症のリハビリでもある。今思えば薬の副作用の吐き気、依存からの薬の副産物でもあると思える症状でもある。しかしながら広いデパートやスーパーに行ける様になったがいかんせん歩きにくさと痛み。昨年ふらつきから杖が欲しいな。と、思いつつ歩行障害は脳に記憶させ覚えさせないとならないと思い杖には頼らなかったのだが先日歩けなくなったどころか匍匐前進というかなりな体力消耗を体験し杖を注文した。フォーマルブラックにグリップはウッドっぽく繋ぎ目にはゴールドといった普段吸引をしているパイプと同じ感じである。断薬一年五ヶ月目の今日に届いたので記念にもなった。他には歩き方の問題から左足の指が曲がってしまった事や骨がバキバキと音を立て不随意をしているので確実に骨の軟骨はすり減っているであろう。ジストニアや内臓が捩れる痛みとも付き合ってきている。とにもかくにもずっと痛みと付き合ってきている。線維筋痛症だとしても今のところ服薬はしない所存である。全身の痛みのおかげで笑いの沸点が低いのでふとした事でも大笑いをしているのでいよいよ馬鹿になってきているが元からでもあるのでさして周囲の人間も気にはしていないどころかどんな時でもりんはりんはで変わらないと言われる。
りんちゃんは我慢強く、励み、そして誰よりも思い遣りがあるお方です。日にちはかかっても、何年とかかっても、必ず良くなりますよ。と、声を詰まらせながら友人が言ってくれた言葉に救われました。明日、生きていないのかもしれない、そう思えば今日が辛くも毎日が楽しくなれます。
パニック発作で死を覚悟した日、わたくしは発作が治まりタクシー代をケチり身体に圧がかかり猛烈な吐き気の中、クリニックから住みたくはなかったこの田舎町を、通った学校帰りの道を拙宅が所有する山を見ながら歩きました。雨が降り涙雨か。と、雨音の中で小さな独り言を漏らしながら立ち尽くし自分の小ささに涙が溢れた日を今でも忘れません。まだ死にたくねぇんだよ。と、会社で立ち上がった後の記憶はありません。わたくしは何を言われても構いません。障碍者障害年金で暮らしていると見ず知らずの人間に言われた事もありました。八年半のパニック症の中、幾度となく吐き気でしゃがみこんでは立ち上がりこの一年五ヶ月の中、片端になっても構いません。わたくしの周囲の大切な人間が傷つけられる事があったらシェケナベイベーよろしく杖を振り回してやろうと思っています。楽しみです。滑稽でしょうね。
最後に笑うのは俺かおまえか。
最後に泣くのはおまえか俺か。と、言った方と出逢えて幸せです。
一瞬が総てです。