備忘録

卒業後わたくしは地元で臨時職員をしていた。 わたくしは三月産まれなので自動車免許を取りに行った頃には同級生が少数になっていた。
この時もう四月を過ぎていた。
ある時もう会えないであろう先生が教習所に何かを取りに来てすぐ帰ってしまった 大学が始まるので夏休みになったら来るのではないかと友達が言っていた。
なんの会話もしなかった。
ただただ別の人生の時間だけが過ぎていた。
十九の時であったろうか、地元にたまたま帰省していた先生とコンビニの前でばったり会ったが、
今どこにいるの?
ぐらいの挨拶程度で別れた。
成人式の時わたくしは産まれ育った街に帰省していたので先生には会えなかった。
先生は成人式には出席しないがその後の飲み会には出席すると同級生から聞いた。
同級生の中でもやはりどこかで気になっていたのだ。
いつしか先生のことなどすっかり頭の中から消えていた。
その五年後の初夏わたくしは不思議な夢をみた。

音は聞こえないが先生がわたくしの顔をじっと見つめているのである。 とっさに目が覚めた。
先生だ…。

懐かしさというより凄く違和感を感じた。
夢の中で先生は困っている様子だった。
この同じ夢を三日もみた。
何かあったのだろうか。でもわたくしのことなど忘れているのではないか。
わたくしは急いで手紙を書いた。もちろん住所は先生の実家にである。実家に送れば先生の母親が転送してくれるはずだ。先生の母親とわたくしは特に面識は無かったが落ち着いていられない状態であった。
そして先生の実家に手紙は届いた。
母親が先生にすぐさま連絡をし、手紙が届いているんだけどどうする?と、言ったそうだ。

その時、先生はわたくしに何かあったのではないかと思い母親に頼んで速達で送ってもらったそうだ。
手紙にはわたくしの夢にでて先生が困っている様子だったこと、こちらは変わりなくやっていること、それと覚えているかとアドレスを書いた。

先生は唖然としたそうだ。君に何かあったのかと思って見てみたら俺の心配だった。と。

すぐにメェルが来た。

君のことは覚えていたけど別に最近意識した覚えはない。

こちらだってそうである。
近況を聞けば、先生は仕事を辞めて就職難であった。
さらには女と別れて暗い日々を過ごしていたようだった。

ここで先生は言った。
君の夢にでて俺は困っていた、
現に仕事が無くて困っている。
接点が無いように思うかもしらんが、
別れた女と君は同じ名前だ。

鳥肌が立った。

その後十年間の空白の時間を埋めるように連絡を取り合った。
久しぶりに聞いた声はやはり優しかった。


【高校生時代】
先生とはまたもやクラスが違った。先生は高校に入学すると勉強に励む中わたくしは他校から来たできの悪い友達とつるむようになる。
これが転落だったのだ。
仲良くしていた友達とは疎遠になり授業中でも騒いでいる感じの人間になってしまった。中学生の時にわたくしをいじめていた数名は同じ高校になったが身を守る安全牌としてわたくしはクラス委員と学祭の時の行灯の係だけは三年間続けた。
隣のクラスの男子と付き合いだいたいが十人ほどのひとつのグループになっていた。
放課後はバンド部屋でみんなで過ごし溜まり場と化していた。
高校生活は夏になり付き合っていた男子は学校を辞めるからとわたくしは別れたが何故かバンド部屋にいたユウヤが、
『俺がりんの面倒みるから』と、その退学をする男子に言った。
別れたその日にユウヤと付き合うことになる。

ユウヤは他校から住み込みで来ていたいわばだぶりであった。
授業中はユウヤの膝に座り授業を受けていた。
家庭科の授業の時のこと、離れて座っていたユウヤに対し家庭科の女教師は言った。
『あたしユウヤみたいな顔がタイプなのよね』

クラス中が凍りついたように無言になった。

授業が終わり何限目かの休み時間に校内放送があった。
わたくしは家庭科の女教師に呼ばれた。
半信半疑で職員室に行くと、

『ユウヤの彼女なんだってね』

『そうだけどなんすか?』

『さっきあたし変なこと言ってごめんね』とのことだった。

彼女がいなかったら手をつけていたのかもしれない。
バンド部屋はますます人数が増え誰の女だろうが男だろうが関係の無い状態であった。

ユウヤは先輩の女性とやった。
その女性には彼氏がいた。
その頃にこのメンバー全員が停学になった。

暴力事件である。

関わらなかった数名と過ごし停学明けに戻ってきたメンバー、そのまま退学をしたメンバー。
あまりに派手にやりすぎた為に先生は焼きもちに近い言葉を発した。

『あの男のどこがいいんだ!?』

馬鹿にされた気分であった。

思わずゴミ箱を蹴り教室のドアを思いっきり閉めた。
この些細な喧嘩で高校三年間は先生と一切口を聞かなくなったのだ。
会えば避けるほどであった。
そんな時、
ユウヤはわたくしの友達と付き合ったが退学をした。
先輩の彼氏だった同級生も退学をし先輩と別れた。
風の噂でこの元同級生がバイク事故を起こしたと聞いた。早速電話をし家にお見舞いに行った。

ユウヤが先輩とやったのを知らなかったが、

あんな女どーでもいいんだわ。と、言って布団を敷きだした。
元の女がりんに迷惑かけたね。とのことであった。
その後このメンバーほぼ全員が退学をした。

わたくしは一人になってしまった。

相談できる先生を失いバイト先だけが安住の場所になった。
八月わたくしの父親は会社で事故を起こし半身不随になってしまった。 バイト代よりも高い列車に乗って看病をしていた。この頃何もかもが嫌になり家出をした。
持ち物の中には先生が描いてくれた絵を持っていた。

家出中に事件が起こった。駅にいたところ知らない男性二人の車に引きづりこまれた。

レイプであった。

家出生活を辞め学校に戻った。
教室に入ると机は無かった。
中学生の時にわたくしをいじめていた数名の仕業であった。
わたくしは特に逆らいもせず毎日のように教室の前や外にある机を持って授業中は寝ていた。
放課後のこと、
わたくしの机の上に牛乳パックが置いてあった。 全てに苛立ち黒板めがけて牛乳パックを投げつけた。

牛乳パックは破裂した。
居場所があるようで無い高校生活最後の夏、学祭が終わった後、
自転車置き場で先生とばったり会ってしまった。
あの喧嘩以来、二人になったのは初めてだった。
先生は大学に進学をする。このままでは中学の時あんなに仲が良かったのにわたくしは何をしてきたのだ。
黙って勉強をし分からないところがあれば先生に相談し楽しく過ごせたはずだ。

わたくしは先生に言った。
『一緒に写真を撮ってくれる?』

先生は優しく、
『いいよ』と、言ってくれた。


夏が終わり冬になっても先生との溝は埋まらずそのまま卒業式を迎えた。式が終わりクラスの人達やら後輩が卒業アルバムの自由ページにメッセージを書いてくれた。
担任の先生にも書いてもらおうと待っていたがその時、何故か先生のクラスまでわたくしは走った。
先生は実家の住所と名前を書いてくれた。
後にこの住所が仲直りをするきっかけになるのであった。

担任の先生はこう書いてくれた。


『いつもりんは俺に囁いてくれた。この囁きでどんなに俺が助けられたことか』

三年間いじめ続けていた生徒はそのメッセージを見て黙った。
高校三年間の地獄が救われた気がしたと同時に、勝った。と、思った。

【中学生時代】
わたくしは苫小牧から小学生の時、両親の離婚をきっかけに転校してきた。
小学生の頃の先生はいわゆるませた感じの子どもだった。勉強も運動もでき顔も悪くない、わたくしにしたら全てがそろって見えた。中学生になりクラスは違ったがわたくしはそこのクラスの子とバンドを組んでいたので先生と話す機会があった。
しかしながら先生はわたくしのクラスの子と付き合っておりわたくしはその子にいじめられていたので表立って仲良くすることはできなかった。

ある日のこと合同で体育の授業があった。
先生の彼女は休んでいた。たまたま座っていたわたくしに先生は走って来て学ランを膝にかけてくれた。
わたくしは美術部であったのでバスケ部だった先生が教室の前を通る。
美術室にわたくしがいれば来てくれたがその様子を通りかかった女子に見られたら先生の彼女に報告をされ翌日またいじめをうけるのであった。
帰り道、
先生が彼女と手をつないで帰る後ろ姿を眺めていたのを鮮明に覚えている。
帰宅をすればどちらかが電話をしその日のことや音楽の話をする。
ある日のこと美術室に来ていた先生に先生の彼女にいじめられていることを伝えた。先生のことが好きなことも伝えた。
学校に来たくないことも伝えた。
色んな思いからわたくしはいつの間にか泣いており先生は困った顔をしながらわたくしの顔をのぞきこんでいた。
先生は生徒手帳とペンを出し笑った顔の絵を描いてくれた。

『友達ができるお守り』と、言ってくれた時に先生の彼女が廊下を通った。
わたくしは先生に、
『教室から出て行ったほうがいい』と、促した。
次の日からは集団でいじめられ学校に行けなくなっていたが先生からは電話があり、
中学最後の予餞会は出た。
卒業したら先生の彼女とは違う学校になる。
全ての演奏が終わり放課後ステージで後片付けをしていたら先生がステージに上がってきた。
先生の彼女はステージを見ていたがその時わたくしは何を思ったのか先生の背中に乗りおんぶをしてもらった。

みんなが一斉ににこちらを見たが先生はおんぶをしてくれた。
色々な想い出がある中で、
先生が美術室の窓辺に一人で座って空を眺めていたこと。
体育館の上から先生を眺めていたこと。

あの時の先生のスリーポイントのシュート、かっこよかったよ。


【堕ちてゆく】
一昨日の夜に先生は倍の量の眠剤を飲んだ。
効くまでの一時間の時間の中であろうか先生は夢をみたそうだ。
PCを操作しフォルダを作りなにやら細かい作業をしていたそうだ。
次の日の夜になり先生は夢を思いだしPCを開くとフォルダが作ってあったそうだ。

『夢と現実の区別がついていない』と、言った。
外にでも出たら大変だし上司にでも変なメェルをしたら事だ。
メェルの送信履歴には東京にいる女性にメェルをしたあとがあったそうだ。 内容は神宮に行ったことなど他愛もないことであった。
ちなみに相手からの返信は無し。
そして昨日わたくしが言ったとおりに先生は安定剤デビューをした。
朝夕の二回デパスを服用することになったのだ。朝、病院に行ったので夕方から服用し仮眠をとった。
夜の八時頃であっただろうか、眠剤を適量服用し就寝。
今日はまだ連絡をとっていない。
眠剤を服用するようになってから眠るまでの時間にメェルをくれることが多くなったのだが、明らかに寝ぼけた状態の日もある。

『俺がいなくなっても一人で生きていけよ』

わたくしはこの言葉をもらってから一人で生きてゆく練習をしている。
『中学ん時が一番仲良かったね』と、先生は言った。

先生の中ではわたくしはまだ中学生なのかもしれない。

今度はわたくしが先生の面倒をみるからね。

PCから連絡をくれるようになったのは亡くなった時に家族に見せたいのであろう。

最期までかっこよく逝ってほしいがいざそうなるとわたくしは本当にどうしたら良いのか困るのかもしれない。
考えたら二人で写っている写真は中学の時と高校最後の夏の二枚しか無い。
仲直りをしてからはお互いを撮影したので現在の二人の写真は無い。
空白だった十年間の間も現在も腐れ縁のように過ごしてきた。
まさか二人して安定剤を服用することになるなど、
あの頃には考えてもいなかった。