その先

先生は言う、

りんのすけ、人の死に敏感なのかもしれんな。俺が人の別れに敏感なように。

確かにわたくしは人の死に敏感なのかもしれない。どこかを怪我して何年頃に人が亡くなるのを分かったりすることがある。信じられないかもしれないが世の中にはそういう人間がいるのである。それなのに自分の先のことは分からない。
これはまだ救いだと思う。
先生のように絶望の中でもがきながら生きる苦しみのほうが辛いがある意味で人間らしく生きることができる。
先生の言う、別れに敏感とはどういうことなのか。 わたくしには、あんまり気にすんな。と、言う。
それともわたくしはただ何も分からず終わりがくるのであろうか。ならば先生の苦しみを味わいその先まで背負ってゆきたい。
例え一生の眠りについても先生と並んでいたい。
今でも想う、誰よりも先生を理解してあげたいと。

美術室で独り空を眺めていたあの時の先生は今と変わらないのではないか。できることならば遡りたい。
しかし現実を生きてゆくのが世の常だ。
先生にとってのわたくしとは何か?
わたくしにとっての先生とは何か?

先生は答えてくれなかった。