わたくしが服用している薬は実は腎臓に疾患がある患者には向いていない。対話式のクリニックなので検査はできない病院である。わたくしはクリニックの先生に腎臓が弱いということを隠している。
どうしてもその薬でないと治療できないからである。風邪薬すら飲んでは駄目と言われているので風邪をひいた時にはダメージが酷い。
先生はリウマチの薬との飲みあわせがあるので軽いデパスで済んでいるが、眠剤とのカクテルはやはりふらふらになるようだ。その眠りにつく前にメェルをくれる。
わたくしは先生が朝を迎えるのかが心配になる。先生のことはストレスにならないがわたくしは二ヶ月も生理が止まってしまった。
わたくしのパニック障害は四年が経ち広場恐怖症というものがある。
長い目で考えているがやはり制約された生活にストレスを感じる。
元気なように見えて生きることがストレスなのだ。その感情を騙し修正しながらの日々。
先生もそうであろう。 漠然と働き薬で眠る。 前に先生が言ったがわたくし達はつまらない人生なのだ。
悲観的ではなく、むしろ開き直っている。
それが楽だと知った。
わたくし達は肉体と精神の限界まで働き、人に裏切られ、自分達が浅はかだったと考える。
先生の他にわたくしは友達がいるが、
先生にとっての友達はわたくしなのだ。
そして先生はわたくしの命の恩人である。
先生はカウンセリングそのものに疑問があると言った。先生が近くにいてくれたらこうはならなかった。と、いつも思う。
医学は進歩しているが先生とわたくしは言う。 実験台と変わらんよな。わたくしの勘だと先生はかなり弱っている。
会いに行きたくても行けない。わたくしは外食もできないので会えば先生の家で話をするであろう。
以前、パスタの茹で加減は時間を見なくても分かると二人で豪語したことがあった。
ならば先生の家で、
先生と料理をして、
哲学を語り合い、
先生と眠りにつく。
これが望む夢であり希望へと繋がっている。
ただ並んでいたい。
わたくしが先生の薬を飲んでもかまわない。
先生の薬にわたくしがなれるのであれば最も良いのだろうが、わたくしは弱すぎる。