五年間

先生が今の職に就いて五年が経った。
わたくしがパニック障害になる前の二年間は怒濤のように忙しかった。
彼氏の父親が癌で他界し彼氏を含めた兄弟五人の書類手続きをほぼ一人でやった。知的障害の兄弟がいるからである。
その頃、一番下の妹は高校生ながらも男遊びが激しくそんな義理の妹を大学へ入学させた。
手続き上は未成人後見人を付け財産の管理はわたくしがしていた。
大学に入っても義理の妹の問題は絶えなかった。と、同時にわたくしの祖父が認知症を患った。 約一年後、祖父は他界したが義理の妹への送金を四年間続けながら仕事をしていた。
勿論わたくしは一人っ子で父親は半身不随なので色々な手続きは重なった。
ちなみにわたくしの実母はわたくしの誕生日に他界している。
この二軒分の書類を持ち歩く生活。
さらには友人の母親が離婚をしたので年金やら身の回りの行政手続きをした。
その後は後輩が会社を辞めその後輩の手続きまでしていた。
会社を辞めた後輩は毎晩のようにわたくしの家に呑みに来てそのうちに精神が崩壊した。
今ではこの後輩に時間が奪われ先生とメールも出来なかったのを思い出した。
後輩はわたくしのことを、お姉ちゃんと呼んでいたが先生からメールが来ると自分をかまってほしいと酔っぱらって泣き出す始末であった。
この頃に先生はリウマチを患った。
わたくしはほとんど寝ていない生活が続いていた。
深夜の少しの時間にフランス語を勉強し将来に備えていた。
毎晩のように後輩や先輩が集まっていて自分の時間など無かった。
わたくしが喪中ハガキを書いていようが普通な顔をして皆はご飯を待っていた。
わたくしの祖父の喪中ハガキ三百枚、同時にわたくしが勤めていた会社の社長の父親が他界したので計七百枚を手書きした。書き終わった後にわたくしは会社で呼吸困難に陥り倒れた。
心電図でエラーが出る程の脈拍。
計測し直しても二百以上の鼓動。
もう死ぬんだと思った。先生の後を追うようにどんどんと蝕まれる身体。この五年間は物凄いスピードであった今、減薬であまり眠れなくなってしまった。先生と同じくして。
眠れない生活が戻ってしまうとまた同じ繰り返しのような気がしてならない。
治りつつあるのではなく、戻りつつあるのではないかと。
そう思い最近は前の会社のお客さんと話す機会を作っている。
今日会ったお客さんは今年で二度目で五年も会っていなかった。
会社の社長と揉めたからである。
悪いのは社長。
わたくしがクリニックに通ってすぐさま言われた言葉。
仕事を辞めて下さい。 会社側は辞めさせてはくれなかった。
来年、わたくしの実母が亡くなって十年になる。思えば十年間、走り続けていた。
ワーカーホリックになってしまった高校生時代から、毎年挑戦しながらの日々。 今は骨休めだと思っているが、先生は違う。
わたくしにショックを与えないようにしている感じがする。
未だに走り続けている。先生は恐いのであろう、アジソン病が。
先生とわたくしは同じことを言う。
内臓系で逝くんじゃないかと。
親の病気は遺伝する。 来月、先生の誕生日が来る。
夏物のシャツをあげたい。 わたくしはいつになったら育った海に戻れるのであろうか。
戻れないあの海に沈むのも悪くない。
先生のフィルムを持って。
先生?
先生は独りじゃないよ。りんがいるから。

先生は小学生の頃のわたくしとは接点は無いのにこう言った。

君とは小学生の時からの付き合いだから。