お正月感がない

もう何年も前からお正月感がない。親戚が集まることも減り地元にも帰らないからである。大学に行っていた友達が冬休みで帰ってくるということもなくなった。そう、それぞれの生活があるからである。放蕩はわたくしだけのような気さえする。
子どもの頃は大晦日にお寺に行ってお経をもらっていた。物凄いでかいお寺にすし詰め状態で座る。
お坊さんがでかい教本をバラバラしながら、
おーぶっさい こくいっさいみたいなことを言う。ぶつざいだと思うのだが子どもにとっては、ぶっさいぶっさいと硬いハードカバーの教本で肩と頭を叩かれる。ぶさいくだと言われながらはたかれるようなもんだ。何人ものお坊さんにだ。
その後が恒例のお坊さんによるお菓子ばらまきである。
老人から子どもまでお菓子争奪戦を繰り広げるのだがこれがまた地獄絵図である。
何故かって?


箱菓子だからである。


物凄い量の箱菓子が頭上に降り注ぎ小さなわたくしはキャッチする前に奪われるのである。
大人の脚の間で箱菓子をゲットしたわたくしは一瞬何かを考えた。

こんなことする意味があるのか?
手にした箱菓子は、おっとっと。
何がおっとっとだよ。そして更なる箱菓子に頭を打たれ我に返った。
あっ!チョコクッキーだ!
キャッチする前に奪われます。
そして一段落するとお坊さんが言います。
お菓子ない人いますか?
後で渡します。

ならば帰りに並んで渡してくれないか?子どもの頃からとても冷めた人間だったが母親はイベントが好きなのである。気がつけばどこからか母親が両手いっぱいの箱菓子を持ってきた。

やるな。

そして近所であった家に帰宅して少しだけお菓子を食べて寝るのである。
元日、コークスを焚いた茶の間でお菓子を食べる。
食べすぎだと早々に怒られる。あんたがこんなに持ってくるから。なんて言えない。

んでね、お正月感がないのは20年も前だったらおせち料理はご馳走に思えたんだけれど今は贅沢になったからだと思うんだよね。たまに行きたいなぁ、大晦日のお寺の大運動会。今ならどさくさに紛れて投げ返す自信はあるよ。キャッチアンドリリースって言いながら、お坊さんの頭上にだ。

これをわたくしは言うであろう。

恩返し。