13年目になりますかね

今日は母上の命日です。親を亡くすと3年はしんどいと言いますが10年以上かかりました。気持ちの整理は10年目にしようと思いましたが親の死というものはどこか整理がつかないつけてはならないと気にかけていました。わたくしの母上の場合はアルコール依存症うつ病アルコール中毒躁鬱病と段階を踏むところを小学生になる前、いや3歳から記憶があるので風化することなどなくそしてわたくし10歳の時に両親が離婚をし別れ際は母上が入院している病棟に電話で、行ってきます。と、告げ父上について来ました。あまり好きになれない父上の両親との共同生活。真逆の生活。前期で終わっている教科書内容を後期で行っている環境。正直いじめられました。持ち物や服装、人間関係、田舎の意地汚さを知りましたが彼らは同じ狭いコミュニティーで育ってきたのだな、よそ者は排除にかかります。バカにしたのではなくもっと柔軟性があっても良いのではないかと子ども心に思いましたがこれがバカにすることだと思いわたくしは口を閉ざすようになりました。家も学校も窮屈で仲の良い友達はいましたが思いやりが少ないなと感じていました。出身地である苫小牧は片親、鍵っ子、転校生は茶飯事でその中でもいじめはありますがそういう人たちはまたすぐ転校をします。しかしながら田舎では転校が少なく留まることを強いられます。地獄のような学校生活で他校の友達やバイト先が安住の地でした。このバイト先で知り合って学校外との人間関係を築いていたわたくしは卒業後も様々な人間に助けられました。こちらで出逢った唯一の親友(先生と慕うクリエーター)は言います。君に友達が多いのは人望かね?父上はいじめられていたわたくしに言いました。他の子よりも大人びているところがあるのと俺でもびっくりするくらい趣味や興味が高い、なので同級生というか人とは少し合わないのだと思う。と。まさしくその通りで道化の役をし独自の感覚で生きてきたのだから無理はない。個性的、悪く言えばどぎつい性格は母上に似たのだと思う。母上は破天荒だったが繊細すぎた、そして強かった。何度も家出をしていたが逃げたかったのではなく探して欲しかったのだといつしか思うようになった頃、かわいそうな人だったなと涙が溢れた。
わたくしのあだ名に因んで大嫌いで大好きな母上の仏前にりんごを送った。
わたくしは、これからの人間だからな。