断薬一年三ヶ月目

毎日の症状としては全身不随意とビリビリブルブルとする痛みです。このビリビリブルブルに強い冷感を伴っておりましたが逆に熱感に変わった箇所があり焼ける様に熱く感じます。顔面は特に鼻が動いているのでセルフレームの眼鏡だと痛くパット式に買い替え出費になりました。左肩の骨がバキバキと音を立てる日や強い痛みの後には腕や太ももに皮下出血を起こします。慣れない場所への買い物や馴れない人との会話でパニック発作を起こす事は減りました。重ためのブーツを履くと少し安定をして歩行ができるのですが左足は左右に右足は前後に動いてしまうのですが少し軽めのドレスシューズで歩行をしてみたらまるでタップダンスの様な音を立てている自分に大うけを致しました。やるな、自分。と。
(サポートグループ投稿文)

断水二週間&断薬一年と二ヶ月目

断水生活にストレスはなくポリタンクの設置等を友達に話すと凄い楽しそうに話すからむしろ水が出た時に落ち込むんじゃないか?と、言われるほどである。仮の水道管で13日から徐々に水が出る地域もあるが飲み水になるにはまだ二週間はかかるであろう。友達の家は未だにトイレの水が下がらず溢れたままだという。台風前からずっと雨続きのせいか身体中ビリビリブルブルとした痛みと不随意の痛みがかなり強い、が、毎日大笑いをした日々を送っている。花火大会やお祭りも中止になったが唯一アメ車フェスは開催されるので楽しみである。

お風呂

断水初日に駅前の銭湯が駄目になってしまったのは分かっていた。ガソスタにたむろい商工会の青年部経由で入浴できる所を調べてもらったらレイクインはやっているってー。との情報だった。友達にリゾートもやっているんだけれどどこだかの部活でラクロス部が100人は来ているらしく総勢300人はいるから無理だと思うわ。いかんせん新得、清水町が断水をしているので大混雑をしていると思い近くの温泉に行った。ロビーは男子高校生で溢れかえっていたが女湯はわたくし1人。なんで町内の人1人も来ないんだろうな、狭いからかな。なんて次の日こちらも断水、仕方なくレイクインを目指すも上りも下りもやたらに車が走っている。絶対無理だ。と、到着をすると異様な車の数。やっぱりね、これ鹿追も無理だな。と、思い王子さんの実家は地下水なので急遽兄弟たちにわたくしがシャワーを浴びるからキレイにしておいてと清掃をしてもらった。後にレイクインや鹿追や町内の駅前が無料開放をしたので殺到していると聞いた。実家の地下水も圧が下がってきたので芽室か帯広か音更のお風呂に行こうかなぁ。と、思っていたがこの広い十勝ですらどこのお風呂に行っても知り合いに会うと聞いていたのでわたくしは逆を目指した。サホロリゾートである。町内価格で断水中は1回500円。入ってみると知り合いが出てきたが浴室には女性が1人とわたくしだけ。なんて素晴らしい状況なのだ。裸で入浴待ち芋洗いとは無縁である。馴れない人間がいてパニック発作の懸念があったので感動をしていると女性2名が入ってきた。引きこもりであった同級生とその母ちゃんであった。仲良くお話をし明日もオープンから行ってみようと思うが修学旅行生と新聞や回覧板で入浴可能と掲載されていたので必ず誰かに会いそうな気がするが体と頭が洗える状況がありがたい。

台風10号

それ以前から雨が続いていたせいか深夜になればトイレが冠水をし翌日には何事もない、そんな生活が1週間は続いていた。8月30日 夜 豪雨だった。町内巡回中のアナウンスカーが断水の恐れがあります。と、言った。家中にある容器に水を汲み浴槽に水を貯めた頃には電波も悪くなっていた。さすがに心細くなっていた頃に兄さんから電話が入り避難しなくていいか?と、言われたが避難所が家から近いので家にいる。と、言った。翌日、避難所が孤立した事を聞いた。橋は流され国道はあっという間に落ち濁流が流れ込み町全体が茶色になった。車ごと流された身内は未だに行方不明である。電波が無いので給水所をテレビのニュースで知った。近所のガソスタに友達が来ていたので少しながらの情報交換をし携帯電話の電波は昨日から繋がる状態になったが町中や隣町の断水はひと月は続くと聞かされた。天候のせいか身体中の痛みが強いが会う人、会う人に「りんならこんな状況ですっきりとした顔をしているからビビるわ!」と、言われる。焦ってもしゃぁないのだし受け入れるしかないのである。部屋の水回りはコック式のタンクやウォータージャグ、トイレ用にはポンプ式でタンクに水を入れる様にしてあるよ。と、友達に言ったらそんな画期的なのかい!やるわ!と、言われた。物事は考えようで無いのなら造れば良いのだ。今年は色々な事があった。今日、生きていればそれだけでいい。ただ、それだけでいい。

第6回 お1人様での外食で軽パニック発作の巻

車で1時間以上を運転しデパートへ行ってきました。今日はデパート内のレストランに入ってみよう。入った瞬間ドキドキドキドキ!うわぁ、きたわ。どうしよう…と、とりあえず座り音に耐えとにかくメニューを真剣に見る事に気持ちをシフトしながら半ば出ようかな…いや、とりあえず頑張ろう。思えば断薬92日目の昨年10月11日に焼肉店にて軽パニック発作を経験し次の日も経験をして以来だったのでわりとショックを受けました。いざ贅沢にお寿司を食べて思いました。そんなにお腹が空いていないのに1貫のお寿司が大きい事、緊張感で乾いていた唇を切ったほどです。10貫目には嘔吐恐怖症が頭を掠めるほどに満腹でしたが最後のイクラは絶対に残してなるものか。と、完食。車に乗り若干の吐き気が治まるまで休憩をしていたら悔しさから涙が溢れました。初めて入るお食事処はやはり要注意でしたね。現時点での症状は身体中の不随意の痛み、左足は左右に右足は前後に動くのでちょっと重めのブーツを履いています。

浸食 2012年6月26日 投稿

明日、革に染色するのだがこの染色は揮発性が高く色だけが革肌に残る。原料のアルコールは揮発してしまう。
だが一度、肌を通り過ぎたのは確かである。
アルコールが無ければ同時に色が残ることは無い。
消滅したであろうアルコールは匂いを少し残して去ってゆく。
そして一緒であった色は少しずつ色褪せながらまたアルコールと色を待っている。
繰り返すことで肌質は荒れ色は細胞の隙間無く記憶を重ねてゆく。
塗り替えられても積み重なって重みを増してゆく。
まるで人間関係と同じである。
アルコールの役目はとても重要なのだ。
それが大事な意味を持っているのまでも忘れてしまうような関係ならば自分だけの色で鮮やかに散っても良いと思う。

第2回 お1人様で外食の巻

パニック症でいつしか外食恐怖症になってしまったわたくしは8年半おうちご飯がほとんどでしたが減薬前から個室の居酒屋にて外食の練習をしてきました。昨年5月パキシル減薬、7月断薬から一度、断薬92日目に外食に連れて行ってもらい軽パニック発作になりかなりへこみましたが3月20日に空いている小上がりにて初めて1人で食事をしました。小上がりを選んだ理由になるべく自宅と同じ感じで座ろうと考えたからであります。そして今日、同じ場所にて1人でラーメンを食べてきました。ひとりっこなので1人での食事に抵抗はなく手の震えが酷いのでお箸で持ち上げたチャーシューがホロホロと崩れ落ち、なんて柔らかいチャーシューなのだ…と、1人で海原雄山をしてきました。急いで食べて出なくては、といった感情はなく猫舌なので急いで食べないと延びてしまう…細かくなったチャーシューが掴みにくい…と、ある意味わたわたと食べてきました。若干チャーシューにシフトをしましたがそんなにチャーシューは好きではない今日この頃です。これからの目標は少しだけ混んでいる所に挑戦してみたいと思います。来年かな?