忘年会

なんだか師走っつぷりよろしくまぁ忙しい事なんの。そんな中、15時から宅呑みをかまし(夕方から呑む日はにごり酒と必ず食べる様にしている。それが通常16時からにごり1リッター。そして23時からはジンロックにシフト)早めに呑み始めたおかげさまで1リッター半は呑んでいた。それが夜に居酒屋で忘年会をするという話になりまぁたシャワーを浴びて迎えに来てもらった。パニック症全盛期の頃には人の車に乗るだけでも発作を起こし居酒屋なんざ外食恐怖症を発症していたので実に8年半ぶり、減断薬が1年5ヶ月目なので10年も行っていない居酒屋にヘェーイ!と、行ってきた。変わらない店内、少し味は変わっていた。外食で味が分かるだけでも素晴らしい。温かいお茶を飲み発作を起こす事も吐き気もなく満腹に過ごせた。懐かしい店内というよりはつい先日の事の様に感じた。トイレのドアを開け和式トイレが洋式になっていたのには本当に驚いた。月日は流れているものだ。思えばパニック症と診断されず半年間の息苦しさの中、あの居酒屋に呑みに行きどうにもこうにも息苦しく一度、救心を取りに帰り戻るも苦しくて横になった日から10年も経過した。現在は全身の不随意運動の痛みが残っているがゆっくりと良くなっているのだと思いたい。てか、痛みは日に日に増しているのだが明日はのんびりと掃除をし何度目かの1人忘年会です。

きよしこの夜

昨年のイヴより明らかに全身の痛みが酷い。今日は痛みマックスの日に骨の不随意が酷く全身バキバキと音を立て肉が千切れそうな痛み。そんな中、昨夜ひとりで頑張った家の前の除雪に文句を言われ現時間(23時過ぎ)にはまたもやトイレが溢れてきて立っているのも痛いのに壁に掴まり水が下がるのを待っていたが足裏も痛く立っていられないのできよしこのバカ、後から見に行こうと思う。イヴには恒例ELLEGARDENのサンタクロースのDVDを観るのだが光が眩しく今夜は観ていない。CDにしてヴォーカルのほそみんに耳をレイプしてもらおうかな、と、思ったが色々と弱っている時はほそみんに泣かされるのでやめた。てか、弱っているとエルレを欲するのだが。シグナス納車から一年の今日も変わらない夜でいたい。トイレを見に行ってくるか…(ため息)

アイパッチ

杖に続くアイパッチが届きました。サンタさんありがとう!って、自分で買ったのですがこんにちは。目の奥までもビリビリブルブルとしており特に左目が顕著でして涙目になるのです。この涙に光が反射をして余計に眩しく見えるのですがかといって暗闇にずっといるわけにもいかず、ずっと目を瞑っていれば何も見えないので←当たり前。当初は白い眼帯も考えましたがフィット感が悪いのでね。フォーマルブラックの杖にアイパッチ。これはもうシルクハットでも被るしかないでしょ。と、意気込むもこの領域は単なるコスプレじゃん。と、思い抑えておりますが燕尾服までも着たくなってきました。次はそうねぇ、付け髭かね。

大慌てのサンタクロース

もうね、今年のクリスマス準備に走り回りました。車から降り滑る足元をソロソロソロっと行き目指す店内までは不随意&滑る&右股関節が痛い中ドタバタとダッシュです。最早、戦場のメリークリスマス。14年ぐらい前までは友人とクリスマスパーティーをしていたのですがその友人達と縁を切ってからはなんとなくクリスタルなクリスマスでした。いや、わりと不透明な。今年はというもの友人へのプレゼントに奔走しました。いつもは先生にだけ贈っていたのが今年は先生の所にはプレゼントを送っておりません。これは1人の友人へのプレゼントのチャームからラッピングに費やしていたからであります。それがどうでしょう。別の友人とクリスマスの話になりプレゼント交換をするか!何、欲しい?いや言ったらサプライズ感ゼロでしょ!何万ぐらい?何万って!と、プレゼントを考えてもいなかったお相手のプレゼントを考え天候や身体の痛みもあるのでその日からあちこちと下見をし、いっそいで帰宅、家の前でシグナスが滑り思いっきり流す事3回。こんな状況の中、別の友人に、俺にはないの?と、いった連鎖が発生しまたもや奔走。何せ3ヶ月前倒しか1年前から準備をするわたくしにとってプレゼント交換予定日4日前とか有り得ないのですがそこはなんとか買いましたよ、ええ。チーム凜のメンバーは栓抜きひとつをあげてもりんちゃんから貰ったぁ。と、喜んでくれるのできっとラッピングをした際のシールひとつでも喜んでくれることでしょう。シールだけに車で往復2時間以上、3ヶ月もかけましたからね。サンタクロースの日当換算にしてガソリン代をかけて、そりゃトナカイの方が燃費がいいわ。と、思った師走でございます。

断薬一年五ヶ月 記念に杖

現在の離脱症状は全身不随意による痛み、ビリビリブルブルとした痛みが一年五ヶ月、毎日毎日である。利き目の左目は見えにくく涙目もあって光の眩しさが増す。時に三叉神経の痛みも未だに出現している。左足は左右へ右足は前後に不随意をするので歩くのにとにかく気を遣う。昨年、減断薬の際のふらつきは脳内的めまいの様なもので下を向いたりするとぐらっと酔いがくる感覚であったが徐々に不随意という身体的な動きの為に吐き気は無いものの何かに掴まっていないと立っていられないか踏ん張って立っているというのが現況である。頭の先から足裏までビリビリブルブルとしているので拷問だ。両耳の聞こえが悪くなり電話口で兄さんが「宴会」と、言ったのに対し「妖怪?」と、聞き返したほどである。また左手薬指と小指に対する刃物恐怖症が再発し常にスパッと切れる感覚がある。なので疼きと思いがけず指先を切ってしまった時のあの痛みの感覚、これは不随意の痛みが心臓に響き脈拍が強くなった時に同時にくると緊張状態になる。ショック死をする方がいるというのも頷ける。舌の奥は未だに下がったままで腹式呼吸ができる様になった現在も鼻からの空気がダイレクトに喉にくるので喉の渇きはある。その為、喉から内耳にかけても常に痛い。音楽がうるさく感じる時にショック療法としてガンガンに聴いては具合が悪くなる事もあるが毎日、黒船と呼ばれているシグナスでどこかしらに出かけている。これはパニック症にある広場恐怖症、嘔吐恐怖症、外食恐怖症のリハビリでもある。今思えば薬の副作用の吐き気、依存からの薬の副産物でもあると思える症状でもある。しかしながら広いデパートやスーパーに行ける様になったがいかんせん歩きにくさと痛み。昨年ふらつきから杖が欲しいな。と、思いつつ歩行障害は脳に記憶させ覚えさせないとならないと思い杖には頼らなかったのだが先日歩けなくなったどころか匍匐前進というかなりな体力消耗を体験し杖を注文した。フォーマルブラックにグリップはウッドっぽく繋ぎ目にはゴールドといった普段吸引をしているパイプと同じ感じである。断薬一年五ヶ月目の今日に届いたので記念にもなった。他には歩き方の問題から左足の指が曲がってしまった事や骨がバキバキと音を立て不随意をしているので確実に骨の軟骨はすり減っているであろう。ジストニアや内臓が捩れる痛みとも付き合ってきている。とにもかくにもずっと痛みと付き合ってきている。線維筋痛症だとしても今のところ服薬はしない所存である。全身の痛みのおかげで笑いの沸点が低いのでふとした事でも大笑いをしているのでいよいよ馬鹿になってきているが元からでもあるのでさして周囲の人間も気にはしていないどころかどんな時でもりんはりんはで変わらないと言われる。
りんちゃんは我慢強く、励み、そして誰よりも思い遣りがあるお方です。日にちはかかっても、何年とかかっても、必ず良くなりますよ。と、声を詰まらせながら友人が言ってくれた言葉に救われました。明日、生きていないのかもしれない、そう思えば今日が辛くも毎日が楽しくなれます。
パニック発作で死を覚悟した日、わたくしは発作が治まりタクシー代をケチり身体に圧がかかり猛烈な吐き気の中、クリニックから住みたくはなかったこの田舎町を、通った学校帰りの道を拙宅が所有する山を見ながら歩きました。雨が降り涙雨か。と、雨音の中で小さな独り言を漏らしながら立ち尽くし自分の小ささに涙が溢れた日を今でも忘れません。まだ死にたくねぇんだよ。と、会社で立ち上がった後の記憶はありません。わたくしは何を言われても構いません。障碍者障害年金で暮らしていると見ず知らずの人間に言われた事もありました。八年半のパニック症の中、幾度となく吐き気でしゃがみこんでは立ち上がりこの一年五ヶ月の中、片端になっても構いません。わたくしの周囲の大切な人間が傷つけられる事があったらシェケナベイベーよろしく杖を振り回してやろうと思っています。楽しみです。滑稽でしょうね。
最後に笑うのは俺かおまえか。
最後に泣くのはおまえか俺か。と、言った方と出逢えて幸せです。
一瞬が総てです。

一日中、寝込んだぜ。

もうすぐパキシル断薬一年五ヶ月になります、こんばんは。先週から全身の不随意、冷感を伴うビリビリブルブルが強くそうかと思えば灼熱地獄のビリビリブルブルに見舞われ今日は吐き気もあり寝込んでおりました。顔面や目の奥もビリビリとしているのでまた顔面に吹き出物ができました。先週あたりは両耳もこもり聞こえにくくなったり股関節に痛みがきたりと老後の全身の軟骨が心配であります。八年半のパニックから限られた生活をしてきたので長生きをしたいのですよ。笑。

サポートグループ投稿文

断薬一年四ヶ月目

現在は相も変わらず頭の先から足の裏までビリビリブルブルとし不随意の痛みや顔面の痙攣というか引きつりで視力が安定をしない。出来る様になっている事は広いデパートやホームセンターに一人で運転をして行ける事(広場恐怖症)外食は先日一度だけしてみました。ガッチガチに動く腕で茶碗蒸しを食すのは大変でしたよ。笑。運転をする車が変わっても息苦しくなるのは減った事。但しビリビリブルブルの痛みが時折心臓に響くと脈がおかしくなる事。歩くのも痛いのですが踵のサポーターは今はしていません。広い場所のフロアを一人で一周をし逆方向に歩ける様になったのも束の間エスカレーターの場所の記憶違いが起きプチ迷子になりました。笑。流石にうなりましたよ。笑。こんなにも左肩の骨がバキバキと音を立て不随意をしていますが元気です。皆さん一緒に耐えましょうね。
ちなみに台風の被害によるふた月のポリタンク生活も終わり先日ようやくトイレも新調をしましたが未だにクロス屋さんが忙しく来られないのですがわたくし自身も忙しくも楽しく過ごす様に努めております。焦らない、求めない。